センダイロックザ

ただひたすらにエモい内容を綴り続けたい。個人の想いとクラブの歴史をただ交差させ続けるだけ。そんな記録を遺していこうと思う。少しでもベガルタ仙台というクラブが色鮮やかに記憶に刻まれますように。

サポーター界隈にて思うこと

ここの所ゴタついてばかりのベガルタ仙台サポーター界隈。

処分をするクラブと、処分に不服を持つ中心部と、中心部に不満のあるそれ以外のサポ。

結論から言えば「さっさと落とし所を決めて手打ちにするべき」だと小生は思っている。

 

理由は大まかに言えば二点。

①問題を起こしたサポの行動は明らかに悪いが、処分の基準が不明瞭。かつ客観的に証明できる材料がない

②その裁定を巡って明らかにサポ同士の乖離が生まれている

 

①は余所のクラブで起きたトラブルのようにスタジアムのカメラにハッキリ映ってれば確実だが、あの状況で処分の対象を証明出来る材料はなさそうだ。

小生には判断出来る材料がないのに叩くのは筋違いだと思っている。

今まで中心部が処分されたことはあったが、ここまで基準に対して不服を申し立てるのはそれなりの理由があるのではないかと考える。

映像があれば話は別物。

 

②は今のSNS界隈を見て感じること。

チームのためにクラブも中心部もそれ以外もこころ一つにまとまった方が良いのに、事態が収束する気配がない。

「クラブとサポーターの一体感が武器」なんて言われてた時期があったにも関わらず、その一体感が失われててはチームにとって大きな損失になりかねない。

 

ちなみに小生は現在の応援体制がベストではないと思っているが、考えられる選択肢の中では良い方だと考えている。

J1第一期から比べると応援のスケールは落ちてきているが、それでもクオリティを保てているのは特に太鼓隊のキレによる所が大きいと考える。

これでまた自発応援が復活しようものならベガルタ仙台サポーターが今まで作り上げてきた歴史が崩れ去るだろう。

 

今までのベガルタ仙台の応援は宮城県が紡ぎ上げてきた一高二高定期戦の応援文化と、ライブハウス文化がミックスして形成されたものと小生は考えている。

その文化も年を追うごとに弱まってきているが、維持出来ているのは中心部周辺のメンバーがライブハウス文化に近しいとこにいるからだと見ている。

なので中心部を完全に排除するようになったら所謂「サッカーの応援」だけが残り、センダイらしさというのはいよいよ消えてなくなる可能性が高い。

 

それで果たして積み上げてきたベガルタ仙台「らしさ」は残るのか。

恐らくベガルタ仙台サポーターの心の中にある「GET THE GROLY SENDAI Let's Rock!!」の弾幕を張り出せるのか。

センダイらしさを継承していくために良い落とし所での早期解決を願うのである。